御由緒

愛知県豊田市の隣松寺境内にある稲荷社は、松平広忠が竹千代(のちの徳川家康)誕生にあたり、成長の無事を祈願したと伝わります。徳川家康は三河一向一揆において一揆側に与した上野城城主「酒井将監忠尚」との戦いの際、隣松寺を本陣とし、稲荷社に戦勝祈願を行って無事勝利され、寺の山号を「玉松山」から「稲荷山」に改め、自身の甲冑姿の木像と念持仏を奉納するとともに朱印地30石を寄進しました。その後、当稲荷社の加護を感じた家康公は、天正18年(1590年)の江戸入国に際して社を江戸城下吹上に造営奉遷されました。

慶長11年(1606年)仲間が拝領の大縄地に移住したとき大縄地の氏神として奉遷されました。元禄7年(1694年)に町地になると本郷元町と改称され、一丁目と二丁目の氏神として鎮座しました。

慶長以来、町内の鎮守として昌清寺内にて祭祀していましたが、明治2年の神仏混淆の禁令によって昌清寺と分離し、元町二丁目三番地に遷座しました。その後、明治26年3月に本郷給水所が設置されることとなり、現在地に遷座されました。大正12年9月の関東大震災によって全焼しましたが、氏子崇敬者の方々の篤い御寄進によって、大正13年6月に本殿・拝殿・神楽殿・社務所が完成しました。

御祭神

宇迦之御魂之命(うかのみたまのみこと)
須佐之男命の子、稲そのもの、或いは五穀【米、麦、粟、黍、稗】を守護する神様。

 

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